ミシェル・オバマ(元ファーストレディ)の57歳の誕生日のツーショット。
(2021.1 カマラ・ハリスのインスタから)
突然のミシェルの登場に驚かれる方がいるかもしれないので紹介することにする。少しばかり情報は古いけれど。
「オバマ前大統領夫人として、アメリカのみならず世界で圧倒的支持を得たミシェル・オバマ。“表舞台”から身を引いても、その人気はとどまるところを知らず、昨年11月(2018年)に発売した回顧録『Becoming(日本語版はマイ・ストーリー)』は、初日だけで72万部を売り上げただけでなく、今年(2019年)3月には1000万部を突破し、回顧録としては史上最高の売り上げを記録した。」
「彼女は、1964年1月17日生まれ、シカゴのサウス・サイド地区出身(黒人スラム街=高級住宅街では全くない*筆者の注)プリンストン大学とハーバード大学で学び、法律事務所で知り合ったバラク・オバマと結婚した後は非営利団体などに勤務しながら夫の政治活動を支えた。先祖には南部の奴隷もいたという彼女は、初のアフリカ系アメリカ人として2009年から2017年までファーストレディーに。労働者階級の家庭に生まれ育ち、トップの教育を受け、ホワイトハウスに至ったその軌跡はまさにアメリカンドリーム、その体現者の1人である。」
(東洋経済online 2019.8.31より)
余談になるが私が「マイ・ストーリー」を読んだのは2020年の7月。居住する京都府下の小規模人口8.1万人の市立図書館で2019.11に予約して60番目。連絡があったのは、8ケ月後だった。
カマラは、1964年10月20日生まれだから二人は9ケ月違いの同年齢。彼らは同時期に大学生活を送り、弁護士試験には、二人共2回目の受験で合格した由。
名門の黒人大学に進学したカマラを、白人の多いプリンストン大学に進学したミシェルと比較をすることで、当時のアメリカの大学生活、厳然とあった人種差別(とりわけ黒人)の問題が私にはよくわかったし理解が深まったので、ここで取り上げてみた。(今後、ミシェルの「マイ・ストーリー」についても紹介するつもり。)
先ず、カマラが選んだハワード大学とはいかなる大学であったのか?ということから始めよう。彼女は言う。
「ハワード大学がどれほど素晴らしいかは、特に卒業生の叔母さんからしょっちゅう聞かされていた。ハワード大学は南北戦争の2年後創立(1867年)の私立大学であり、高等教育への扉が黒人学生にはほとんど閉ざされていた時代、人種隔離や人種差別が国の法律で認められていた頃、さらに、若い黒人男女のリーダーとしての潜在能力を認める人がほとんどない風潮をも耐え抜いてきた。ハワードでは、何世代にもわたって学生たちが育成され啓発されて高みを目指す自信とそこに上がっていくための手段を与えられてきた。私もその学生の一人になりたいと思った。……そして1982年秋、人生初の大学寮での生活をスタートさせた。」
「ここは、天国ね。数百人の学生がいて誰もが私と同じ肌の色をしている。」
カマラも肌の色でずっと差別されてきたのだ。(YouTubeのインタビューより)
「私たちは、何にでもなれる若くて才能に恵まれた黒人だ。」「ハワードでならばありのままの自分でやってきて、憧れの人になって飛び立つことができる。どうなりたいかを選ぶのは自分自身だった。」
このような環境でカマラは、1年生で初めて選挙に立候補した。リベラルアーツ学生自治会の1年生代表である。生まれて初めてのこの手強い選挙に勝利した。ディベートチームで腕を競った。週末は南アフリカのアパルトヘイトの抗議デモに参加した。1世紀以上前に設立された黒人女性のための社交クラブにも入会した。そしてキャンパスに通いながら様々な仕事にも就いたという。
前後するが、ここで彼女が高校生の頃に考えていた将来についても紹介しよう。
「自分はずっと仕事に就くものと思っていた。やりがいのある仕事を持つ両親をみてきたし、それぞれの分野でリーダーとして影響力を発揮し他者の人生を変える立派な女性たち、とりわけ母の生き方を目にしてきたからだ。……自分がいつの時点で法の道に進もうと決めたかは、はっきり覚えていない。……尊敬するヒーローには、法律家もいた。私は公平性に強い関心を持っていて、法律は公平な社会の実現に役立つツールであると考えていた。」
高校を卒業後、彼女はやる気満々で大学に飛び込んだのであった。
一方のミシェルはどうだったか? 前述の「マイ・ストーリー」から引用する。
まずはプリンストン大学について簡単に紹介しよう。
プリンストン大学(Princeton University)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州プリンストンに本部を置くアメリカ合衆国の私立大学である。1746年に設置された。
学生数は学部生約4800名、大学院生約2000名である。*アイビー・リーグ(Ivy League)の大学8校のうちの1校であり、2名の大統領を輩出している、アメリカ全土で4番目に古い世界屈指の名門大学である。US Newsランキングにて18回全米一位にランクされ続けている世界屈指の名門大学である。(ja.m.wikipedia.org 2021.8.29)
*アイビー・リーグ(Ivy League)とは何か。
アメリカ合衆国北東部にある8つの私立大学の総称で、米国の政財界、学界、法曹界をリードする
卒業生を多数輩出している。言わば「東海岸の裕福な学生が通う私立のエリート校グループ」の事。
学費も高く、ミシェルも学費ローンの返済に苦労している。
ミシェルの両親は大学に通った経験がないため相談はできなかったが、バスケットボールの花形選手だった兄が入学できたのだから自分にもできるだろうと思ったとの由。そして入学。
ハワード大学へ入学した高校時代の友人を訪ねた時の発言。
「プリンストンの2倍いる学生は、ほとんどが黒人だった。人種を理由に大学で疎外感を感じなくていいのは羨ましかった。毎日マイノリティでいることに疲れなくていいのだから。たとえ自分と同じようなバックグラウンドを持つ学生がほとんどいなくても、私はプリンストンの鮮やかな緑の芝生と石造りのアーチに満足していた。」
そしてさらに、「白人が大多数の学校に黒人として通っているとアファーマティブアクション(積極的差別是正措置、雇用や教育で少数民族や女性などを優遇する政策)の影を感じ取らないわけにはいかなかった。一部の学生や、教授からでさえ送られてくるその視線はあからさまに『あなたがここにいる理由はわかっているよ』と言いたげだった。単なる私の思い込みもまざっていたのだろうか、そんなときはやる気をそがれ、小さな疑念が生まれた。私は社会実験の一部としてここにいるだけなのだろうか。」
「しかしそんな時にはいつでも『今に見てなさい。』という感情があったことは確かだ。」
「友人は、白人の学生たちとすれ違おうとすると相手は意地でも道を譲らなかったという。」「プリンストンにマイノリティ人種の学生はとても少なかったため私たちはどこにいても目立った。」
以上のように二人の過ごした環境は違っていた。
冒頭の写真の二人は、それぞれの学生時代の思い出などを語り合ったのだろうか?
最後に念の為二人のプロフィールを下記に記すことにする
カマラ・ハリス:第46代大統領ジョー・バイデン政権 副大統領
1964年10月20日生まれ、
ハワード大学(Howard University:ワシントンDCにある私立の名門黒人大学)出身
*全米トップの黒人大学で、人種差別を嫌う学生が多く学ぶ。
ミッシェル・オバマ:第44代大統領バラク・オバマの妻
1964年1月17日生まれ
プリンストン大学(Princeton University:ニュージャージ州にある私立の白人優位名門大学)出身
*第28代大統領ウッドロ・ウィルソンも当大学出身者で、1902年~1910年まで総長を務めた。
しかし、2020年ジョージ・フロイト抗議運動(ブラックライブズマター)が高まる中、
ウィルソンは人種差別主義者との理由で、大学内はウィルソンの名を冠した学部や建物からその名を外すと発表した。男女賃金格差も問題になった。
次回は、現在のカマラの主張の基礎を築いたこれまでのキャリアとなしてきた仕事について紹介したい。
コメント
コメント一覧 (5)
euraswoman
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euraswoman
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コメントありがとうございます。二人の考え方の違いですが、本を改めて繰ってみると、カマラは、地方検事局で働きたいー天職を見つけたーと気づいた時から「人々のために」というポリシーがありました。ところがミシェルは、自分が弁護士が持つべき要素を持っているという誇りはあったものの、「ハーバードで3年間憲法を学び各種法的分野で議論する日々を送ったが、人間味のない複雑な法律の世界が天職とはならず強い情熱は湧いてこなかった。」とあります。この点が二人の今に繋がっていると思います。カマラは政治家に、ミシェルは大統領を支えるファーストレディーとして素晴らしい働きをしています。
euraswoman
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とても興味深いです。
euraswoman
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